2025-05-29

見て見ぬ振りしてきた、性と怒りの理由。

ランジェリーのPRにあたり、ランジェリー姿の写真を投稿した。久しぶりにキモいコメントがついた。

わたしは「モノの見方や捉え方を変える」「扱い方を考える」「自分が持つものを生かす」といったコーチングの要素を伝える一環として、#バスト大きめさんの味方 ってタグで発信をしている。ボディポジティブが日本で流行る前からだから、たぶん、もう10年近くやってるのかな。わたし自身が自分の体、大きめのバストが大嫌いでコンプレックスだった。けれど、コーチングとランジェリーのおかげで今では自分の体型を受け止めながら、思いきり好きな格好を楽しめるようになった。その経験から始めたハッシュタグだった。

#バスト大きめさんの味方は、自分の体は自分のもの・誰のためでもなく自分のためのものってメッセージでもある。ただこの体で普通に服を着て普通に生きているだけって信念でもある。だから、好き勝手にキモいことを言われるとものすごく怒りが湧く。街中ですれ違った人のバストへの視線にもムカつく、ムカつきすぎて涙出たこともある。

どう思うかは自由だと思ってるからどう思ってもらっても構わないんだけど、お前のためのものじゃない、お前の喜びのためにやってない、体を見せてるかもしれないけど”渡してない”、扱われ方をお前が決めるな、勝手に消費するなってすんごい怒る。

ほっとけばいいじゃんと言われたこともあるけど、わたしはそんな奴たちにずっと怒ってきた。でも確かに、なんでこんなにここに怒りが湧くんだろう?トリガーになるんだろう?と思うと、父親にたどり着いた。

わたしは幼少期から思春期まで、非接触型の性的虐待を受けていた。詳しくは書かないけど。自分がわからないまま境界線を侵されていたんだと、あれは性的虐待と言っていいんだと大人になってから気づいた。そんな性への記憶・感覚から、「自分の体は自分のものだ。扱い方もわたしが選ぶんだ。」って、自分の体への選択を強く望むんだろうなぁと、だから勝手に消費されるような現象には人一倍強く怒るんだなと腑に落ちた。

長らくずっと、自分が持っていた性への混乱や違和感、怒りや歪みを見て見ぬ振りしていた。押し殺してきたような気がする。

でも、紐解いて、受け止め始められて、今、これを書けたことによって、解放されて浄化されていくような兆しが見えた気もする。同時に、ズーーーンと沈んでもいる笑。久々バッド入ってる笑。

ずっと見て見ぬ振りしてきた性への感覚、それに影響された選択や境界線や関係性への捉え方を、少しずつ言葉にしていけたらいいな。人生をコンテンツにしたいわけじゃないんだけど、わたしにとってはこうして書いたり発信したりすることが、自分を受け止めたり癒して応援する方法みたい。中学の時からそうだったわ!

明るい話ではなかったけれど、ここまで読んでくれた人ありがとう。

これを読んでくれたあなたも、自分を受け止めたり癒やしたりするあなたらしい方法を持っていますように。

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です