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2020-03-14

わたしは「女」って重りを捨ててたらしい。

 

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全然書いていなかったブログ。今年はちょこちょこ書いていこうと、カニカマをもぐもぐしながらこれを書いています。

 

「女でよかったと感じることは?」「女性らしさを感じるときは?」と、先日のインタビューで聞かれました。わたしは答えられませんでした。

だけどなんか答えなきゃって思ってたら、インタビュアーのまきさんが「無くてもいいよ」って言ってくださってホッとしました、そしてなんだか嬉しかった。と、同時に、なんで答えられないんだろう?って不思議に感じました。

わたし、ないんですよね。女でよかったって感じることも感じたことも女性らしさを感じるときも。

 

だけど、「のあはのあでよかった」と感じるときはあります。でもそれは女だからとかじゃなくて、のあって存在でよかった!って感覚。誰かを好きだなとか素敵だなと感じるポイントも、女らしい男らしいで判断したことないなぁ、「その人だから」って感覚しかなかった。誰かに対して好きだと感じたポイントや、同じ仕草や行動を他の誰かがしていても、たぶん同じように好きにはならない気がします。

 

そんな自分の新しい一面に、インタビューを受けて気づきました。

 

 

ってこんなことを書いてるけれど、もしかしたらわからないだけかもしれないね。だって、わたしは性としては女しか経験したことないから。男だったらもっと楽しかったかもしれないし、もっと大変だったかもしれない。現時点でのわたしには、女だとか男だとかの概念がなく、”その人だから”って見方でしか自分自身のことも誰かのことも見ていないっていうこと。

 

和田のあという存在で生きていることにくっついてくる生きづらさを、誰かのせいにはしたくないなと最近は思います。やろうと思えばどれだけでも人のせいにできるし、怒ることもできるんだけど。

ただただ、どれだけ自分で自分を生かす(活かす)かを楽しんでいきたいです。自分の人生の舵取りは自分でしていたい、みたいな。でもそうするためには自分のことだけでなく、環境=人間関係を自ら整える強さが必要だと今までの経験から感じています。そのために人を見る目を養わないといけないなと日々思っています、そしてこうしたところにコーチングが役立っているなとも。

 

これは余談だけれど、若い起業したての女ってすごいなめられます。でもこっちも19歳とかで人を見る目ってそんなにないから、優しく来てくれた人をそのままいい人だって信じちゃうんです。こんなに気にかけてくれるんだ〜社会は優しいな〜って思ってたら、結局はヤりたいだけだったみたいなこと何回もありました(こういった相手の立場に漬け込む卑怯な奴は本当に滅べばいいと思います許すまじ)。丁寧に断るとキレられるみたいな。

そういったときは、女じゃなければ…ってすごく悔しい思いをしたけれど。あるとき、21歳くらいのときかな。そうか、もう自分自身が女とかどうとか捨てればいいんだ、ただ「のあ」ってだけで生きればいいんだって思ったんですよね。(ちなみに今は周りの人々に恵まれて、沢山の方に応援していただいています。)

わたしのこの、女も男もないって考えは、こういった経験からきてるのかもとこれを書きながら思い始めました。笑

 

結局は、自分の生きやすさを考えているだけです。少しずつ少しずつ、自分についている重りをはずしていってるような感覚です。わたしにとっては、女だからとかを考えることが重りだった。「和田のあ」って存在を楽しむ方が生きやすいと気づきました。

 

ただ厄介なのは、その重りがなんなのかが自分ではなかなか気づけないこと。

「なんだか生きづらい」「もっと軽やかに生きたい」

そんなときは、わたしや、コーチングの存在を思い出してくれたら嬉しいです。

 

 

 

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